皆さんは、法律家になる夢を抱いて法科大学院に入学したのだと思います。
どのような法律家として活動するのか、いろいろ考えているでしょう。
久留米大学法科大学院が創立された時のキャッチフレーズは「そうだ!久留米で法律家になろう」でした。
私は、このコピーが大好きです。地域に、密着した大学で、地域の住民の日常生活に貢献できる、地域住民のための法律家になるのだ、という意欲が、よく伝わってきます。
私達は、自分の事務所を「地域事務所」と呼びます。
まさに、地域の住民のために役立つ仕事をする事務所、という意気込みなのです。
そしてこの活動、取り組みが、全国民の共通の課題に応えるものとなる、そのことがひいては全国の国民の日常生活を豊かにする大きな力となる、という思いです。
当然、法律家になるために必要な努力が要求されています。
みなさんは、これから一生そのために必要な学習を積み重ねていくことになります。
私は大学院の授業の開始に際して、まっさきにフランスの詩人ルイ・アラゴンの言葉を紹介していました。
「教えるとは共に希望を語ること、学ぶとは誠実を胸に刻むこと」これは、ナチスの侵略に対し、抵抗運動を行って、教授や学生に多くの犠牲者を出したストラスブール大学を語った詩の一部です。
相談者と相談内容について語り合っている時、私はこのアラゴンの言葉を切実に感じる場面があります。
私は本当に誠実に相談者と正面から向き合っているか、希望を語っているか、あらためて、そう胸に問いただすのです。
弁護士になると、いろいろな相談があります。
依頼者の様々な悩みにどう答えるか、まさに弁護士の見識が問われます。私は、法律家の仕事には、その人の全人格がかかっている、と思っています。
相談者は当然のこととして、自分の全生活をかけています。
それにこたえる弁護士も、当然のこととして、自分の全人格をかけて応じるのだ、と思うのです。
相談者の願いを正しく、正確に理解し、共に希望を語って最も適切な解決方法を指し示すことは、ある意味では弁護士にとっての夢です。
さらに、それを具体的に実行して、現実のものとして実現することはさらに困難が伴います。
私達は、その夢の実現に一歩でも近づくために、努力を積み重ねているのです。
現在法科大学院の教育に対して司法試験合格のための受験に必要な知識、とりわけ最高裁判例を教え、学ぶものになっている、という批判が強まっています。
私は、このアドボカシーセンターは、単に法律知識を習得する場をこえて、自らの求める法律家像を、自分達の手でつくり上げていく場でありたいと願っています。そのために、多くの仲間と手を取り合い、協力しあい、すでに何歩か先を歩んでいる弁護士達とも語り合って、その教訓を学びながら、自らの夢の実現に一歩ずつ近づいていくことができる場にしたい、と願っています。
皆さんの多くの要求と、その実現を目指す取り組みを強化していくと共に、他方では、すでに弁護士として仕事を行っている私たちに、逆に初心を思い起こさせ、自らの仕事を反省し、見直す場にもなるのだと思います。
参加している皆さんと一緒に力をあわせて、住民の期待に応えることができる、住民に喜んで迎えられる法律家を目指して、このセンターの活動をよりよいものにしていきたいと願っています。みんなで夢の実現を追い続けたいと思います。
「久留米大学法科大学院教授(2004年~2010年まで)」